先週、V&A博物館で行われているポストモダニズム展に行ってきた。V&Aは二つ前の記事で少し書いたヴィクトリア女王とアルバート公のVictoria and Albertで、ヴィクトリア女王の死後、旧サウスケンジントン博物館からこの名前に変更されたらしいが、それは文化と歴史の頽廃期に芸術を嗜好しその成熟を援助した二人の君主に敬意を払ったからに違いない。大英博物館と同スケールの建物に展示されているのは、学生達がスケッチしているのをよく見るギリシャの彫刻から現代テクノロジーの集合知といえるようなガラス細工のシャンデリアまで広範にわたるが、元々1851年に行われたロンドン万国博覧会の利益で建設されたこともあり、万博以降に造られたヴィクトリア朝のものが多い。
国内に点在する巨大博物館の例にならってこの博物館も入場無料で、建設された当時もペニーレスな若きクリエーター達にデザインの重要性を啓蒙する目的で無料だったという。中世から欧米に連綿と受け継がれているこの富裕層のパトロン的、啓蒙的精神が今日までアート業界を牽引する力の根底になっていると考えるのは恣意的な妄想ではないはずだ。その資金が帝国主義的植民地支配における他国からの搾取によってもたらされたのは事実だが、彼らを一重に避難できないのはその用途が日本の富裕層達とくにニューリッチ達とは違い文化援助の場、つまりプラットフォームを造ることに向けられたからだ。日本にも精神科医でありながら現代アートコレクターの高橋龍太郎先生のように富を文化援助に還元できる富裕層が現れるのを期待したい。
と、ぼやきはここまで、本題のポストモダニズム展について。ポストモダニズムとは既存の自然、伝統、様式、正当性に疑問を投げかける批評的態度で、その根底には構築主義と反基盤主義がある。構築主義とは、一般に「☆☆☆(たとえば自然)」と看做されていることは普遍的、絶対的なものではなく、社会や文化の習慣の中で形成されたものであるという指摘、そしてそのフィクションの批判である。反基盤主義は一般的に「☆☆☆(たとえば正当)」と看做されているものはなにか絶対的で根源的な基盤に言及することで成立しているが、その基盤は抽象的な措定でしかなく、常に構築されているため、基盤への言及はその正当性を担保しないという主張である。それに抗う手段としての、「☆☆☆」に対してミイラ取りに行って故意的にミイラになるような形で「☆☆☆」の自然化、正当化にいたる様相をあぶり出す、パロディはポストモダニズムの特徴的な方法論で、やはりそれは批評的な営為である。
今回、気になったアーティストを淡々と音速光速で紹介。各々の詳細は後日、書ける時に。
まず、入ってすぐの所にあったのが、横尾忠則が描いた舞踏家、土方巽の公演ポスター。写真だと分かりにくいが左上には澁澤龍彦の写真があり、その横には「澁澤さん家のほうへ」と添えられている。
隣にあったのが、同公演のコレクション展示即売会ポスターで、オリジナルを踏襲してあるのが分かる。しかも、中央に加えられている毛筆は三島由紀夫によって描かれたものであるというから、驚くしかない。横尾忠則、土方巽、澁澤龍彦、三島由紀夫と名前を見ただけでもよだれが出てくるくらい、豪華キャスト。この当時の文化人界隈の分野を跨いだ交友関係に憧憬しないではいられない。
ポストモダンで比較的理解しやすい建築では、Ilya UtkinとAlexander Brodskyという二人のロシア人建築家が興味深かった。彼らは建築家であるにもかかわらず、この世にあり得ない建築、夢想的で再現不可能な建築デザインを紙の上で描き続けた。この二人には強く惹かれるものがあるので、是非詳しく調べたい。
このおそらくアールヌーボーの流れを受け継いでいるであろうティーセットはPaolo Portoghesiというアーティストの作品で、その算出された様式美を見れば、彼の本業が建築であることに驚きはしない。
大野一雄はこのポストモダン展で知った舞踏家。土方巽とパフォーマンスが似てるなと思ったのは間違いではなくて、暗黒舞踏で競演をしていたり、とかなり影響を受けている模様。今回一番見入ったのはこの動画。
音楽におけるポストモダンも相当な強者で犇めいていた。まず、Grace Jones。ミュージックビデオが流れてて、本人が着用した衣装もいくつか。Grace Jonesは東京にある某セレクトショップの元店員さんに教えてもらったのが始まりで、ヴィジュアルも音楽も目眩なしには成り立たない程刺激的。
そして冒頭にある動画の男色ソプラノ歌手Klaus Nomi。この衣装も実物が展示してあって、プラスチック的な硬化な素材と思っていたのは実際、比較的軟らかそうな素材だった。 会場では『Lightning Strikes』のミュージックビデオがリピートされていた。