Wednesday 25 January 2012

イギリス南西部の旅 五日目&六日目 The Isle of Wight(ワイト島) & Brighton(ブライトン)


五日目

朝一のフェリーでワイト島に向かおうと、五時に起床。駅と併設してあるフェリー乗り場でタイタニックとまでは及ばないにしても相当大きいフェリーを発見して、乗客。早朝過ぎたのか、室内に他の客は見当たらない。たった2人を運ぶ為にこの巨大フェリーを使うなんてやって割にあわないんじゃ、などとおせっかいな心配をしてると、相方の鉛筆の人が来て、「この船じゃないです。」と一言。結局、乗り場を少し間違えていて、一時間待って本当のフェリーに乗船できたが、あの時、あの豪華な巨大フェリーに乗りつづけていたら果たして、どこへたどり着いたのだろうか。持つべきものは乗り間違えたフェリーを指摘してくれる友である。

フェリーに乗ってからは15分ほどで呆気なくThe Isle of Wight(ワイト島)に到着した。フェリー乗り場には陸から鉄骨で組まれた車道と線路が500mほど延びていてオレンジの光を点した街灯が 等間隔に両脇に並んでいる。バスの一日券£10(約1300円)を買って目的地のニードルへ向かう。ワイト島はそれほど大きな島ではないので車があれば一日で島全体を回って来ることもできそうだ。6月にはワイト島音楽フェスティバルもあるし、化石も見つかるらしいので家族連れで是非。一人で来ても、自転車をレンタルして島に3つある刑務所を巡るという楽しみ方もあるのでご心配なく。
一時間かけて島の最西端にあるニードル公園に到着。そこから歩いてニードルを目指す。「ニードル」は島から海に突き出した白い岩礁群で、ワイト島のシンボルになっているが、実際見てみると貧相で物足りない感じがした。良く言っても「サメの歯みたい。」くらいの薄っぺらい感想しか浮かばなかったが、隣にあるロケット発射台の跡地を見て、全身の細胞がファービュラスマックスした。ロケットの噴射の跡なのか、広範囲に渡って地面がお椀型に削れていて、その下の崖付近まで降りて、錆びた弾丸と中央だけ半透明な黒の割れた石灰石を拾った。

ニードル自体よりも公園からニードルに行く途中にある民家のほうが印象に残っている。小さな一軒家の外にカラフルな怪獣やキャラクターのフィギュアが隙間なくディスプレイされていて、妖怪大戦争のようにミニチュアなカオス状態だったのだけど、写真を取ろうと中まで入って行ったら、庭からおばあさんが出て来たのには焦った。よく見ると「Toss a coin 」と書かれた青い壺があったので、小銭を入れてきた。バスで中心地のNewportに戻って、山盛りのフィッシュアンドチップスを買って食べたその後は、ワイト島でどうしても行きたかったオズボーンハウスに向かう。
オズボーンハウスは19世紀中葉にアルバート公が自身で設計した離宮で、ヴィクトリア女王は毎夏ここを避暑地として使うほど気に入っていたそうだ。セキュリティーが厳重で、ガイドがついて集団で各部屋を見ていく。アルバート公は、イギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイもそうだったように、シンメトリーにこだわりがあったらしく、たしかに庭や部屋の配置も左右対称だった。宮殿の中は緻密に配置されたタイルで埋め尽くされた床、廊下の両面に飾られた肖像画や彫刻、高価な金属や木材で造られた調度品などで溢れていて、感嘆のため息が自然とでてしまう。贅に贅を尽くした王族の豪奢な生活ぶりを空想せずにはいられない。

行ったのがクリスマス直後で、ガイドさんがヴィクトリア女王がどうクリスマスを過ごしたのかを度々説明してくれたのでとても面白かった。アルバート公の死後、ヴィクトリア女王は思い出のあるオズボーンハウスでクリスマスを過ごすようになり、時には地元の子供達を招いてクリスマスキャロルを歌ったりしたそうだ。クリスマスツリーは一日に4回しか光らない。というのも、ライトではなく本物のロウソクを付けていた為に火の管理が大変なのだ。難が一の時に備えて、見守りが水の入ったバケツを用意して待機していたらしい。木は香り高いモミの木で、装飾には伝統的な干した果実や星等のオーナメントが使われていた。
ガイドさんは他にも、ヴィクトリア女王は犬が大好きで生涯で100匹以上の犬を飼っていて多過ぎた為に死んだ犬から名前を使い回した話、世界初の自宅エレベーターはこの宮殿にあるのだがマッチョな大男が2人がロープを引っ張る手動式のものだったという話、食事の際に女王が食べ終わると同席している他の人も食事を止めなければならない(しかも女王は小食)話
など面白いことを話してくれた。宮殿内では写真は一切禁止されていて、Googleで画像検索しても公式サイトを除いて写真漏れは皆無であった。そうすることによって特殊性を担保し、宮殿を神秘化させて客に現地まで足を運ばせることができる。これは「Free」と「Share」に反するが、オズボーンハウスのような空間は安売りせずにブランディングするのが得策だと思う。

六日目

暁起してバスでBrighton(ブライトン)に向かう。この旅だけで7回ほど別のバスに乗ったが、なぜか回を重ねるごとにグレードアップしていく座席に感動した。最初のバスが最低の座席で最長の乗車だったのは残念だったが、なんとも人生のメタファーっぽくていいじゃないか。ブライトンはLGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル及び性転換者)コミュニティが多いことで有名で、そんな街にユニークで面白い店がない訳がないと信じて疑わなかったが、案の定、乗り換えのバス亭への道を間違えたら長く続くお洒落ストリートを発見した。店内を物色したかったが、明るいうちに今日の目的地であるセブンシスターズに行きたかったので、気持ちを押さえてバス停に。
ブライトンからバスで海岸沿いを東に一時間走ったところで降車して、そこからは徒歩で七姉妹を目指す。羊や牛が放牧されていて、牛とは近づいて写真も取ったけど、牛ってこんなに巨大だったかと驚いて引け腰だった。セブンシスターズはドーバー海峡沿いにある白亜の断崖で、対岸から全体像を眺めるコースとセブンシスターズ自体に登り絶壁から海を見下ろすコースがあるのだが、まず絶壁コースに進路を取った。断崖まで登ると台風並みの強風が吹いていて、ともすると体を持っていかれて落下しそうなくらいだ。そんな時に突如現れるのがタナトス(死の衝動)というものなのか、当然のように断崖ギリギリまで行き記念撮影。崖の付近には恋人達が残したであろう、石灰石を並べて書いた「Merry Christmas」や「I Love You」等の文字が点在していた。恐怖を意識した後は不思議と晴れ晴れとした気分になるのだが、実際の空は曇りから突如大雨に換わり全身びしょ濡れになってバス停まで帰った。
ブライトンまで帰りさっきのお洒落ストリートに戻る。不思議な国のアリス専門店、数々のアンティークショップ、古本屋等を巡って買ったのは10枚£5のポストカードだけ。最後の晩餐にケバブとオニオンリングを買って食べ、駅の近くのカフェでチャイを飲んだ。店のお姉さんがキュート。

Sunday 22 January 2012

イギリス南西部の旅 三日目&四日目 Penzance(ペンザンス) & Portsmouth(ポーツマス)

三日目

セントアイヴスからタクシーでPenzance(ペンザンス)へ向かう。クリスマスでバスが出ておらず仕方なく乗った。道の脇にあった幾つかの廃墟を見て興奮しているうちにあっさり予約していた宿に到着した。が、旅とトラブルはハッピーセットとそのオモチャのようにセットであって(オモチャの付かないハッピーセットはもはやハッピーセットではない。)、受付が閉まっていてチェックインができない。少し待って来そうになかったので、リビングに重い荷物を隠して町の中心地に出かけた。

20分かけて海岸沿いまで歩いたのはいいが、さすがクリスマス、見渡す限りの閉店。唯一開いていた小さなスーパーで昼飯を買う。見るものがないのでとりあえず歩いてみる。どうせなら商店街から離れてみようと民家があるほうへ。あるのはもちろん、ひたすら並ぶ家。ヤシの木と坂がやたらと多い住宅街を抜けると植物園を発見。中央には立派な石造りの噴水があってその奥には見た覚えのあるテラスも。「これはもしかして!!」とその時は勢いよく思ったものの、それ以来なんの発展もなく今日に至る。あの既視感は一体何だったのか。

田舎の小さな町のアンティークショップほど魅力的なものはないが、店に入れずガラス越しでしか見れないのはなんともどかしいことだろう。それが過去と未来をごちゃ混ぜにした遊具箱をひっくり返したような店ならなおさらだ。古めかしいピエロ、陳腐なSF映画に出てきそうな空飛ぶスクーター、いびつな形をした黒人のマネキン、そんなエキセントリックな珍品ばかり取り揃える夢の店を前にして写真しか撮れなかったのは無念としか言いようがない(その写真を納めたカメラも。。。)。丘を下って、海岸沿いまで行くと海の向こうにはイギリス版モン・サン=ミシェルと言われているセント・マイケルズ・マウントが見えた。「コーンウォールの王冠についた宝石」と讃えられたり、その城に住んでいた巨人の伝説があったりして興味があるのでいつか行ってみたい。

海辺に三ツ星のクイーンホテルというのがあったのでその中にあるカフェでお茶でも飲んで休憩しようと入った。いつもなのかクリスマスだからなのか分からないが、飲み物とお菓子がセルフで持って行けるようになっていたので、オレンジジュース、珈琲、紅茶を一杯ずつ貰って席に着く。広い店内では品の良い老夫婦や家族連れが談笑していてとても賑やかだった。

宿に帰る途中、故郷にある茅葺き屋根(白川郷が有名)と全く同じ造りをした屋根があって興味津々で観察したが、どうやら茅葺きは日本特有のものではなくドイツやイギリスにもあるらしい。知らなかった。飛騨から職人が出向いて造ったのではという期待は裏切られたにしても、郷里を知る契機と刹那のノスタルジーをありがとう。無事、宿にチェックインしてリビングでテレビを見る。映画がやっていて、iPadで花札をして流し見していたのではっきりは分からないが、「今日はクリスマスだからいいじゃないか!」を口実に情事をしまくる主人公の男が「一緒にパキスタンに行こう。」と恋人を誘うが彼の放蕩ぶりを知っているため喧嘩がたえない、という内容で全くもってクリスマスにふさわしくない。もう少しましなセレクトは無かったのか。

四日目

この日は一日移動に費やした。ペンザンスからヒースロー空港を経由してSouthampton (サウサンプトン)に到着。二時間だけの滞在で町を散策してからすぐさま、バスに乗り目的地のPortsmouth(ポーツマス)に。移動時間というのもまた旅を旅たらしめる一つの重要項で、ラスボスまでがやたらと長いRPGみたく移動時間が長ければながいほど目的地に着いた時の高揚感は大きい。

Thursday 19 January 2012

イギリス南西部の旅 一日目&二日目 St Ives(セントアイヴス)

キリストさんが生きていれば2011歳になる頃、僕はイギリス南西部5泊6日の旅をしていた。クリスマス恐怖症を併発させて今年の聖夜は友達とまったり過ごそうと考えていた12月の第3週、Twitter上で緻密に計画された魅力的な旅プランを携えた鉛筆の人からの誘いが。日本の首相が替わるのと同等のスピードをもって二つ返事、今回の旅が決定したのだった。

一日目

早朝に出発してロンドンから最初の目的地、 St Ives(セントアイヴス)へ。出鼻はくじかれる為にあるもので、行きのバスがたいしたことない雨天と渋滞を理由に予定より3時間遅れて乗り換えのSouthampton(サウサンプトン)に到着し、さらにSt Ivesに向かうバスでは運転手さん☆のコーンウォール訛りによる車内アナウンスで見事に『St Ives』を聞き逃し、通り過ぎ、終点のPenzance(ペンザンス)に行き着いた。予定では三日目に来るはずだったペンザンスに初日にフライングして来てしまった日本人二人は世界の終わりが到来したかの如く絶望し、それから、かろうじてやっていたジャンクフード店でペンザンスバーガーなるものを買って空腹を満たした。西洋には「空腹は最高のソース」ということわざがあるが、僕は言いたい「絶望は最高のソース」であると。絶望という状況は空腹という状態に勝る至上の偶発的アクセントなのだ。機会があれば皆さんも是非、ロッテリアの「絶品バーガー」ならぬどこかの「絶望バーガー」を試してみてはどうでしょう。と、そんなことはさておきバスの運転手によるとセントアイヴスに戻るバスが一本あるとのことで、それに乗りセントアイヴスまで逆戻り。

結局、到着したのは日付も変わって、クリスマスイブ。グーグル先生の地図の精度を過信していた為、宿泊予定のホステルを見つけるのにも苦戦したが、まさかホステルの玄関が施錠されているとは思いもよらなかった。絶望の早期再来である。暗証番号に幾度と挑戦するももちろん無反応、キックに次ぐキック、ピンポンに次ぐピンポンでなんとかホステルに入れてもらうことができた。ようやく就寝。

二日目

昨夜の就寝から間もなく暁起してホステルを出発。目指すはThe Islandと呼ばれるセントアイヴスの先端にある岬、日の出を見ようと思ったのだ。空が鉛色の雲に覆われていたこともあって、そこには今まで見たどの日の出よりも幻想的で抽象的で、サーフグリーンの海とピンクと水色がグラデーションを成す空が朝の静寂と共犯関係を築いて正面に迫って来た。全てが曖昧模糊で終始、夢見心地だった。

書くより写真を見せろと言われそうだが、そこには察して欲しい事実がある。実はこのイギリス南西部の旅の後に行ったパリでかなしいかな、カメラを盗まれたのだ。そして怠惰な僕はむろん旅行から帰ってもパソコンにメモリーをアップせずいたので今頃、写真のデータはフランスの闇市かネットオークションに彷徨っているのだろうと推測する。そんなわけで今回の使っている写真はiPadで撮影したものに限るのでご勘弁を。

アイランドの帰りに海岸に寄って貝殻を拾った、そして落とした。幼年期の頃虫や鉱物を集めていたけど貝はほぼファーストコンタクトで、それもそのはず、僕は海に行ったことがほとんどなく修学旅行を含めても3、4回ほどだ、今思い返すと。時間があるときに一日中、貝殻を集め続けてみたい。

魔女の宅急便の小さな路地を抜けて見つけたパスティ屋でパスティを食べる。パスティとは何ぞや?パスティとはパスティである。そう、パスティと言いたいだけなのだ。そして起こるはパスティのゲシュタルト崩壊。海の見える教会でキャンドルを灯した後は、イギリスならどこにでもあるOxfamという古本、古着、食器等を扱うチャリティーショップで「The Little of PANTS(パンツに関する小さな本)」を買った。その内容ときたら、シェイクスピア、アリストテレスからエリザベス一世や孔子まで、著名人達の発した名句の一部をパンツに換えて列挙するだけのくだらないもので、例えば美声年の悲劇を描いたオスカー・ワイルドの耽美小説『ドリアン・グレイの肖像』の中でヘンリー卿が謂った「敵を選ぶときには、いくら注意しても注意しすぎることはない。」が「パンツを選ぶときには、いくら注意しても注意しすぎることはない」になるという具合だ。しかし、ヘンリー卿のウィットと逆説に溢れた警句を、単語の置き換えだけでここまで清潔感のあるアドバイスに成らしめるとは。凄まじい破壊力である。そしてさらに、このパンツ選びに関するアドバイスもヘンリー卿が言ったとなると、それなりの深い意味合いを含んでいる様に聞こえてくるから不思議だ。

セントアイヴスは芸術家のコロニーと言われていて、町にも大小のギャラリーが多数点在している。その中で最大のものが、ロンドンにあるテートブリテンとテートモダンの分館である、テートセントアイヴスで、必ず行こうと考えていたのだが聖夜前日の為、閉館していた。その近くの教会の壁にはポスターが貼ってあって「Jesus lives forever」がスターウォーズのオープニングっぽく、宇宙を背景に書かれていたのには驚いた。写真がないのが悔やまれる。

昼食に本日二度目のパスティ(羊肉とミント)を食べた。真っ二つにしたラグビーボールの大きさと重量で空腹が12分に満たされた。この小さな町には個性的な店がたくさんあって、天井からナマケモノ、たこ、魔女のぬいぐるみが所狭しとつり下げられている魔女ショップ、色とりどりの貝殻を扱ったシェルショップや、寓話とトランプ類周辺のコレクターズショップはロンドンでは見れないものばかりあって楽しめた。最も惹かれたのは宝石や瑪瑙、化石などを扱うアンティークショップで、子供一人が楽に入る巨大な貝、亀の化石、サメの歯が狭い店の四方を覆っていてる様はヴンダーカンマー(驚異の部屋)を彷彿とさせる。シェルショップでは、貝なのかヒトデなのか分からないがとにかくとてもエロチックなオブジェを買った。

どこの店もクリスマスに備えて早く閉店し始めたので、またまた別の教会に行ってみた。丁度クリスマスイベントをやっていて、地元の人達に混じってキャロルを歌った。どう見ても異邦人で非クリスチャンの僕にも歌詞が載っている冊子をくれたり、次の曲はこれだよと教えてもらったので焦ることなく楽しんだ。歌い終わった後にクリスティングルという、お菓子の付いた爪楊枝を四方に、ロウソクを中心に刺したオレンジを貰った。隣にいたおばあちゃんにこれはなんだと聞いたら、オレンジは地球、赤いテープはキリストの血、四つの棒は四季をそれぞれ表しているんだそうな。

ホステルはこの日はもともと休む予定だったらしいのだが、他に泊まる所がないことを告げると特別に泊めてくれるという。ありがたい。そんなホステルには卓球台からダーツ、スロットマシーンまである広間があって、そこで休んでいたら出来上がったホステルのオーナーとその友達が入って来て、その中の「頭、肩、足」という日本語を連呼する男に、黒いロシアの酒を勧められて飲んだ。癖のある強い酒だったけど、甘くて美味しかった。

日付がかわる前に再度、海の近くにある教会に行った。なにしろ、それ以外に行く所がないのだ。ここは町で一番大きな教会で、二時間くらいの厳格な儀式やスピーチがあった。夜遅くなのにもかかわらず、超満員で席が足らずに立っている人もいた。人生で初めて、コンシューマリズムから逃れたクリスマスを過ごした気がした。