Saturday, 9 April 2011

Across The University


大学とは何か??

日本国内にも数百の大学があるにもかかわらず、偏差値の差はあれど、多様性があるとは言いがたい。

そして最近、アメリカやイギリスの大学の興味深い話を聞いた。

ケンブリッジ大学は1209年設立、最新の世界大学ランキングでハーバードを抜いて一位になった超エリート大学である。

まず誤解しやすいのが、ケンブリッジ大学はケンブリッジにある大学のことで、特定の建物のではないと言う事。それはキャンパスという訳でも無く、31のカレッジから成り立っていてるのだ。ロンドン大学も同様に複数のカレッジの集合体で、ロンドン市内に点在している。

それぞれのカレッジは経済的にも自立している組織で、日本の大学のキャンパスとは全く異なっている。ケンブリッジ大学の志願者はアプライする際に、学部と同時にどのカレッジに属するかを選ぶことになっている。

カレッジにも色々あって人気とカレッジに入る難易度は比例しているらしい。始めの一年は強制的にカレッジ内の寮に住むのだから、そうなるのも不思議ではない。有名どころのキングスとトリニティーカレッジを散策した際に色々見て回ったけど、情緒ある煉瓦建築と広大な庭がとても綺麗だった。ハリーポッター的な?(観てないので想像ですが)


もちろん同じカレッジに住む学生達と勉強するのかと思えばそうでもない。カレッジはあくまでカレッジ、授業を受ける講堂は別の場所にあり、同じカレッジの学生も専攻している学部はバラバラ。

これは大学側も狙った所だと思うが、学部の分け隔てなく多様な学生を一つの精神的、且つ肉体的なアーキテクチャに突っ込むことで学生達のイマジネーションの化学反応を煽っている。それが、世界で最も多くのノーベル受賞者(81人)を輩出することが出来た一つの要因じゃないだろうか?

ちなみにニュートンそれを見た事によって重力の概念をひらめいたと言う、酸っぱいリンゴのなる木はケンブリッジにある。そして、イギリスには甘い赤いリンゴと同じくらい酸味が強い緑のリンゴが好まれている。


教育のスタイルも日本の大学との違いは多い。
学生が教授に会えるのは一年に2、3回だけで、その代わりに日本の准教授クラスの人がチューターという形で学生一人ひとりに付くのだ。マンツーマンで論文の添削や、難解書物の解読も手助けをしてくれるとはなんと贅沢な。しかし大学だって考え無しにやっている訳じゃない、膨大な量の課題がその理由だ。学生は一週間に300〜600ページの課題図書を読まなければいけないのだ。しかも、超ド級の難解論文を。このペースは日本の平均的な大学の4年の過程を半年、(ケンブリッジの)できない学生でも一年半で終了するほどらしい。





もうひとつ、アメリカのペンシルベニア州立大学は優秀な総合大学でスポーツでも有名である。

その中でも軍を抜いて盛り上がっているアメリカンフットボールがこの大学に与える影響は計り知れない。むしろ、アメフト主体、大学がオマケの組織だと言えるかもしれない。

この大学には10万人収容可能なアメフトのスタジアムがある。(東京ドームは5万5千人)
さらに驚くことに、プロの試合は一切行われず完全に学生用の施設であり、試合も年間一桁しかないという。このアメリカなスケール。

なぜこんなことが可能なのかと言うと、アメリカの大学がうまく経営をしているからに他ならない。日本の大学も含め、私立学校は全てビジネスで、企業と同じように経営をしている。つまり、コンスタントに利益を出して運用すれば大企業の様に事業を拡大することもできる。

ペンシルベニア大学の場合は、アメフト事業に体を委ねチケット、グッズなどで利益を出しているらしい。これは特殊なケースでは無くて、アメリカではバスケットとアメフトでお金を回している大学も珍しいことではない。が、大学生の試合でスタジアム級の施設が埋まるほどいるスポーツフリーク達の多さ、有り余るスペースはアメリカの特権かもしれない。もう一つ、寄付という概念がアメリカの(大学だけでなく)経済を、血管はち切れんばかりのむきむきマッチョのボディービルダーがバーベルをそうするかの如く支えている。イギリスでもそうだけど、学校の卒業生や周りの住民が学校に寄付するのはよくある事で、それがけっこうな額になるらしい。



日本の大学も独自のカリキュラムや国民性や文化背景を逆手に取ったうまいやり方を生み出して欲しい。どこか一校がやりだせば、負けじと他校も対抗したりして多様性が出てくる。

画一化なんてつまらない。



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