Friday, 2 March 2012

パリ 一日目&二日目 〜高級コーラ、盗難ワープ、〜

一日目

2011年の暮れ、イギリス南西部の旅から帰って、間髪入れず、31日からフランスに行って来た。といってもドーバー海峡の対岸なので異国に行くというよりは本州から北海道に行く感覚に近い。バスに乗ってそれが更にフェリーに乗っていくのだけれど、フランス経験の有る友達が行っていた、乗船中はフェリーのデッキに出られるということはできずに、なおかつバスからも降りられず、軟禁状態だった。それでも夢現だったのか、体感的にはドーバー海峡を30分程で横断したのでそれほど苦ではなかった。WARP。それで、呆気なくフランスに着いたのだけれど、これは個人的一大事であった。大陸童貞を喪失したのだ。今まで、日本、イギリス、アイスランドと生まれて、留学して、旅行したのは全て島国で少なからず対大陸を意識していたので、少し切ない気がしないでもない。


友達のホテルに荷物を置いて、レストランに入る。値段が日本の約二倍で若干怯んだが、もう引き返せないので注文。さすがに料理は絶品で、普段食べている不格好で太いポテトとは正反対のスタイリッシュでスキニーなフレンチポテトにも満足。友達が頼んだレモン入りのフレンチビールのさわやかさはレアで注文したにも関わらず完全なウェルダンで出てきた肉の怨恨を奇麗さっぱり晴らすほどだった。店を出て新年のカウントダウンをどこで見ようかとセーヌ川付近を彷徨ったあげく、12時までに時間が有り余っていたので適当に入れそうな場所を探してカフェに入った。パリ中心地のカフェときてはやはり田舎のマックとは事情が違って、ワンオーダーが強制なのでなにか(マックシェーキ的な)安いものを注文しようとしたところ、1000円のコーラを筆頭に不当価格のオンパレードであったので、さすがに驚いた。これがキャフェというやつか。フランスの鋭い洗礼を受けつつ、何故か安いクレープを注文してカウントダウンまで店に居座った。

『Trois!』、『Deux!』、『Un!』みたいなカウントダウンも突拍子もなく新年を迎えた。エッフェル塔が激しく発光するのも、新年だけかと思いきや毎時間光っていてもう既視だし、花火も計算された幾何学的できらびやかなロンドンのものとはほど遠く、まとまった発射は皆無で、個人が少しいい花火を買って打ち上げた程度のものが視界の端っこに点在するくらいで期待外れ。フランス経済崩壊の兆候なのか。エッフェル塔の近くにある公園から観ていたのだけど、人は溢れ返り夏フェスなさがらのモッシュも多発、中国人女性vs中東男の見応えあるタイマンも勃発していた。疲弊しきったので新年で全線無料になっていたメトロに乗ってホテルに帰る。


二日目

友達のホテルから予約していた格安ホテル3Ducks Hotelに移る。そして、その時個人歴史は動いた。カメラが無い。フランスの前に行ったイギリス南西部の旅の写真をパソコンにアップしてなかったのも精神破壊には十分な打撃を与えたが、なにより、2011年に起こったことを2012年にまで持ち越してしまったのが気にくわない。すぐに気づかなかった自分に非があるが。それにしても、パリのスリには脱帽した。来る前から、パリ到着一時間で踊りながら近づいて来た男に財布を取られたJ氏や、地下鉄で華麗に買ったばかりのiPhone4sを持っていかれたS氏の話を聞いていたので、常時の3倍くらいにはATフィールドを張って警戒していたのだ。それにも関わらず、スリはATフィールドを中和し、僕のカバンを巧みに開けて、分厚いタオルを掴んでもなお諦めずに捜索を続け、中心に包まれたカメラをきっと繊細であろうその手中に収めたのである。そして、それがフレンチ伝統の気品なのであろうか、開けたカバンを自らしっかりと閉め直して立ち去った。研ぎすまされた嗅覚、巧妙で緻密な技術、不屈の精神、徹底されたマナー、これらを兼ね備えたパリのスリには一人スタンディングオベーション(拍手喝采)である。


友達と昼ご飯を食べにイタリアンに入る。チャイを頼んだら、市販されているリプトンのパックが出てきたのは大目に見て、ワインが強いチーズフォンデュは絶品だった。昼過ぎにはフラゴナールがやっている香水博物館に行った。紀元前4500年のエジプトから、ギリシャを通って、香水がフランスで隆盛した18世紀までの香水容器が展示されている。もとをたどれば、香水は宗教的儀式において重要な役割を担っていたらしい。そういえば、キリスト教関連のそんなような話を読んだ覚えがある。太陽王、ルイ14世が建てたヴェルサイユ宮殿に常設のトイレが無かったのが香水の発達に一役買ったのは有名なところだが、この頃香水は薬としても使用されていて、コルセットできつく締め付けた為に気を失った貴婦人達に着付け薬と重宝していたという。原料からエッセンスを抽出する方法も3種類(温吸収法、冷水法、蒸溜法)あってそれぞれに必要な容器や道具も展示されている。見て回っているうちに、映画『パフューム〜ある人殺しの物語〜』を思い出した。この博物館には植物からエッセンスを抽出しているという説明しかなかったが、実際には哺乳類からエッセンスを取り出したりもしていたのだろうか。


ぶらぶら歩いていたら、巨大な神殿の前にたどり着いた。サント・マリア・マドレーヌという、いかにも失われた時を求めたくなる名前の教会はブルボン朝末期に建設し始め、フランス革命で中断、そしてナポレオンが政権を握ってから再開し、革命の象徴として完成させるつもりが、完成したのはナポレオンはすでに失脚した後だったいう、なんとも一貫性に欠けた建物である。教会に入ると丁度、パイプオルガンの演奏が始まった。正面奥の壁には最後の審判の彫刻があって曲とその物語が進行するにつれて登場人物が順々にライトアップされていく。それにしても新年から大勢の人が来ている、初詣みたいなものか。


マリー・アントワネットの首が落とされたコンコルド広場から少し歩いたところにある、長過ぎるクリスマスマーケットでチュロスを買う。日本の香具師にもならって欲しいほどに椀飯振舞で、アツアツのチュロスは四人で食べても余るほど。「パンが無ければ菓子を食べればいい」というのも二世紀を経た現在では十分妥当性がある言葉になった。友達のホテルに集まり、スーパーで買ったワイン、スペイン土産の生ハム、イギリスからの年越しそば(インスタント)で夕食を済ます。フランスのスーパーではなにを買っても美味しかった。イギリスのスーパーがフランス化することを切に願う。


Monday, 13 February 2012

セルジュ・ルタンス 〜無機質なユートピア〜

『ルタンスが器用するモデル達は、顔立ちは固より、性格から思考まで吟味される。また、ルタンスの初期の頃の作品に登場するモデル達は、撮影の一週間前から花で溢れた部屋で花に囲まれて過ごし、薔薇の花びらのスープや、薔薇の花びらのサラダを食べてルタンスの世界を体現する為の準備をしたという。』と、寺山修司からウォーキングを学び、山本寛斎、三宅一世、イヴ・サン・ローラン等、世界のトップデザイナーのもとでモデルを務めた山口小夜子は語っている。


セルジュ・ルタンスの作品は厭世観で満ち満ちている。そこには現実世界から逃避して美の王国に閉じこもろうとしたユイスマンスの小説『さかしま』に登場するデ・ゼッサントのような強固な意志があるのではないか。その貝のように強い信念が無ければ、ここまで結晶度の高い美を突き詰めるのは不可能だろう。そこでは全てが静止していて、息をしてはいけないような気さえしてくる。


ルタンスは生命のないものや機械的なものを好むネクロフィラスな人間であるように思える。不自然なポーズ、ユリのように白い肌、交換不可能なまでに選び抜かれている配色は生身の人間を解体し、マネキンや死体を観るものに喚起させる。またルタンスが撮影前、モデル達に薔薇に囲まれた生活をさせたのは、心身をもって日常から隔離させ、彼女達をできる限り無機に近づける為だったのだろう。もしかすると、ルタンスが目指したものは人間の剥製みたいなものだったのかもしれない。それは女性的な表象ではなく、熱を持たない、乾いたフェティシズムである。彼女らは絶対的な美として時間の不可逆性に抵抗し、ある場所であるがままに未来永劫存在する。


日本語でスタンスの経歴が参照できるものがなかったのでWikiや海外の記事を参考に和訳しました。

セルジュ・ルタンスは1942年3月14日にフランスのリールに産まれの写真家、映画監督、ヘアスタイリスト、ファッションデザイナーである。


80年代に日本の資生堂のコマーシャルで写真撮影とアートディレクションで一躍有名になる。

14歳で地元のヘアサロンに見習いとして働き始め、立体美の感性、理解を深めてゆく。同時期に友達をモデルに見立てメイクを施し写真を撮っていた。

1962年にヴォーグに雇われてパリに上京し、メイク、ヘア、ジュエリーなど多岐に渡って活動しリチャード・アヴェドン、ボブ・リチャードソン、弟に「俺たちに明日はない」の監督アーサー・ペンを持つアーヴィング・ペンと制作を共にし、1967年にはクリスチャン・ディオールにメイクアップラインを任される。

1973年に制作した写真集(クロード・モネ、ジョルジュ・スーラ、アメデオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソに着想を得た)はニューヨークの美術館で展示され、70年代中頃には映画にも着手し二本のショートフィルム「Les Stars(1974)」、「Suaire(1976)」を続けてカンヌ国際映画祭へ送り込む。

1980年、ルタンスは資生堂に移り、広告、フィルム、メイク、パッケージングでその才能を発揮し、カンヌ国際広告際で金獅子賞(Lions d'Or)を二度受賞。1982年、資生堂はルタンスに香水の制作を依頼して今では伝説と化したノンブルノアール(NOMBRE NOIR)(日本では原料(特に天然動物性香料)の調達難航のため製造が中止された。)を作り上げる。

1992年には「ブティックよりもより洗練された香水店」をコンセプトにレ・サロン・デュ・パレロワイヤル・シセイドー(Les Salons du Palais Royal Shiseido)をデザインし、パリに店を構え、それ以後はSerge Lutens名義で香水を扱い始める。

近年は2005年にカラーコスメをSerge Lutens名義で発売するが、香水に専念するためにメイクアップアーティストとしての活動はしていない。2007年に香水、コスメ、写真、映像制作への貢献を賞し、芸術文化勲章コマンドールを受賞。

現在はモロッコの美しい都市マラケッシュに住んでいる。

Wednesday, 25 January 2012

イギリス南西部の旅 五日目&六日目 The Isle of Wight(ワイト島) & Brighton(ブライトン)


五日目

朝一のフェリーでワイト島に向かおうと、五時に起床。駅と併設してあるフェリー乗り場でタイタニックとまでは及ばないにしても相当大きいフェリーを発見して、乗客。早朝過ぎたのか、室内に他の客は見当たらない。たった2人を運ぶ為にこの巨大フェリーを使うなんてやって割にあわないんじゃ、などとおせっかいな心配をしてると、相方の鉛筆の人が来て、「この船じゃないです。」と一言。結局、乗り場を少し間違えていて、一時間待って本当のフェリーに乗船できたが、あの時、あの豪華な巨大フェリーに乗りつづけていたら果たして、どこへたどり着いたのだろうか。持つべきものは乗り間違えたフェリーを指摘してくれる友である。

フェリーに乗ってからは15分ほどで呆気なくThe Isle of Wight(ワイト島)に到着した。フェリー乗り場には陸から鉄骨で組まれた車道と線路が500mほど延びていてオレンジの光を点した街灯が 等間隔に両脇に並んでいる。バスの一日券£10(約1300円)を買って目的地のニードルへ向かう。ワイト島はそれほど大きな島ではないので車があれば一日で島全体を回って来ることもできそうだ。6月にはワイト島音楽フェスティバルもあるし、化石も見つかるらしいので家族連れで是非。一人で来ても、自転車をレンタルして島に3つある刑務所を巡るという楽しみ方もあるのでご心配なく。
一時間かけて島の最西端にあるニードル公園に到着。そこから歩いてニードルを目指す。「ニードル」は島から海に突き出した白い岩礁群で、ワイト島のシンボルになっているが、実際見てみると貧相で物足りない感じがした。良く言っても「サメの歯みたい。」くらいの薄っぺらい感想しか浮かばなかったが、隣にあるロケット発射台の跡地を見て、全身の細胞がファービュラスマックスした。ロケットの噴射の跡なのか、広範囲に渡って地面がお椀型に削れていて、その下の崖付近まで降りて、錆びた弾丸と中央だけ半透明な黒の割れた石灰石を拾った。

ニードル自体よりも公園からニードルに行く途中にある民家のほうが印象に残っている。小さな一軒家の外にカラフルな怪獣やキャラクターのフィギュアが隙間なくディスプレイされていて、妖怪大戦争のようにミニチュアなカオス状態だったのだけど、写真を取ろうと中まで入って行ったら、庭からおばあさんが出て来たのには焦った。よく見ると「Toss a coin 」と書かれた青い壺があったので、小銭を入れてきた。バスで中心地のNewportに戻って、山盛りのフィッシュアンドチップスを買って食べたその後は、ワイト島でどうしても行きたかったオズボーンハウスに向かう。
オズボーンハウスは19世紀中葉にアルバート公が自身で設計した離宮で、ヴィクトリア女王は毎夏ここを避暑地として使うほど気に入っていたそうだ。セキュリティーが厳重で、ガイドがついて集団で各部屋を見ていく。アルバート公は、イギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイもそうだったように、シンメトリーにこだわりがあったらしく、たしかに庭や部屋の配置も左右対称だった。宮殿の中は緻密に配置されたタイルで埋め尽くされた床、廊下の両面に飾られた肖像画や彫刻、高価な金属や木材で造られた調度品などで溢れていて、感嘆のため息が自然とでてしまう。贅に贅を尽くした王族の豪奢な生活ぶりを空想せずにはいられない。

行ったのがクリスマス直後で、ガイドさんがヴィクトリア女王がどうクリスマスを過ごしたのかを度々説明してくれたのでとても面白かった。アルバート公の死後、ヴィクトリア女王は思い出のあるオズボーンハウスでクリスマスを過ごすようになり、時には地元の子供達を招いてクリスマスキャロルを歌ったりしたそうだ。クリスマスツリーは一日に4回しか光らない。というのも、ライトではなく本物のロウソクを付けていた為に火の管理が大変なのだ。難が一の時に備えて、見守りが水の入ったバケツを用意して待機していたらしい。木は香り高いモミの木で、装飾には伝統的な干した果実や星等のオーナメントが使われていた。
ガイドさんは他にも、ヴィクトリア女王は犬が大好きで生涯で100匹以上の犬を飼っていて多過ぎた為に死んだ犬から名前を使い回した話、世界初の自宅エレベーターはこの宮殿にあるのだがマッチョな大男が2人がロープを引っ張る手動式のものだったという話、食事の際に女王が食べ終わると同席している他の人も食事を止めなければならない(しかも女王は小食)話
など面白いことを話してくれた。宮殿内では写真は一切禁止されていて、Googleで画像検索しても公式サイトを除いて写真漏れは皆無であった。そうすることによって特殊性を担保し、宮殿を神秘化させて客に現地まで足を運ばせることができる。これは「Free」と「Share」に反するが、オズボーンハウスのような空間は安売りせずにブランディングするのが得策だと思う。

六日目

暁起してバスでBrighton(ブライトン)に向かう。この旅だけで7回ほど別のバスに乗ったが、なぜか回を重ねるごとにグレードアップしていく座席に感動した。最初のバスが最低の座席で最長の乗車だったのは残念だったが、なんとも人生のメタファーっぽくていいじゃないか。ブライトンはLGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル及び性転換者)コミュニティが多いことで有名で、そんな街にユニークで面白い店がない訳がないと信じて疑わなかったが、案の定、乗り換えのバス亭への道を間違えたら長く続くお洒落ストリートを発見した。店内を物色したかったが、明るいうちに今日の目的地であるセブンシスターズに行きたかったので、気持ちを押さえてバス停に。
ブライトンからバスで海岸沿いを東に一時間走ったところで降車して、そこからは徒歩で七姉妹を目指す。羊や牛が放牧されていて、牛とは近づいて写真も取ったけど、牛ってこんなに巨大だったかと驚いて引け腰だった。セブンシスターズはドーバー海峡沿いにある白亜の断崖で、対岸から全体像を眺めるコースとセブンシスターズ自体に登り絶壁から海を見下ろすコースがあるのだが、まず絶壁コースに進路を取った。断崖まで登ると台風並みの強風が吹いていて、ともすると体を持っていかれて落下しそうなくらいだ。そんな時に突如現れるのがタナトス(死の衝動)というものなのか、当然のように断崖ギリギリまで行き記念撮影。崖の付近には恋人達が残したであろう、石灰石を並べて書いた「Merry Christmas」や「I Love You」等の文字が点在していた。恐怖を意識した後は不思議と晴れ晴れとした気分になるのだが、実際の空は曇りから突如大雨に換わり全身びしょ濡れになってバス停まで帰った。
ブライトンまで帰りさっきのお洒落ストリートに戻る。不思議な国のアリス専門店、数々のアンティークショップ、古本屋等を巡って買ったのは10枚£5のポストカードだけ。最後の晩餐にケバブとオニオンリングを買って食べ、駅の近くのカフェでチャイを飲んだ。店のお姉さんがキュート。

Sunday, 22 January 2012

イギリス南西部の旅 三日目&四日目 Penzance(ペンザンス) & Portsmouth(ポーツマス)

三日目

セントアイヴスからタクシーでPenzance(ペンザンス)へ向かう。クリスマスでバスが出ておらず仕方なく乗った。道の脇にあった幾つかの廃墟を見て興奮しているうちにあっさり予約していた宿に到着した。が、旅とトラブルはハッピーセットとそのオモチャのようにセットであって(オモチャの付かないハッピーセットはもはやハッピーセットではない。)、受付が閉まっていてチェックインができない。少し待って来そうになかったので、リビングに重い荷物を隠して町の中心地に出かけた。

20分かけて海岸沿いまで歩いたのはいいが、さすがクリスマス、見渡す限りの閉店。唯一開いていた小さなスーパーで昼飯を買う。見るものがないのでとりあえず歩いてみる。どうせなら商店街から離れてみようと民家があるほうへ。あるのはもちろん、ひたすら並ぶ家。ヤシの木と坂がやたらと多い住宅街を抜けると植物園を発見。中央には立派な石造りの噴水があってその奥には見た覚えのあるテラスも。「これはもしかして!!」とその時は勢いよく思ったものの、それ以来なんの発展もなく今日に至る。あの既視感は一体何だったのか。

田舎の小さな町のアンティークショップほど魅力的なものはないが、店に入れずガラス越しでしか見れないのはなんともどかしいことだろう。それが過去と未来をごちゃ混ぜにした遊具箱をひっくり返したような店ならなおさらだ。古めかしいピエロ、陳腐なSF映画に出てきそうな空飛ぶスクーター、いびつな形をした黒人のマネキン、そんなエキセントリックな珍品ばかり取り揃える夢の店を前にして写真しか撮れなかったのは無念としか言いようがない(その写真を納めたカメラも。。。)。丘を下って、海岸沿いまで行くと海の向こうにはイギリス版モン・サン=ミシェルと言われているセント・マイケルズ・マウントが見えた。「コーンウォールの王冠についた宝石」と讃えられたり、その城に住んでいた巨人の伝説があったりして興味があるのでいつか行ってみたい。

海辺に三ツ星のクイーンホテルというのがあったのでその中にあるカフェでお茶でも飲んで休憩しようと入った。いつもなのかクリスマスだからなのか分からないが、飲み物とお菓子がセルフで持って行けるようになっていたので、オレンジジュース、珈琲、紅茶を一杯ずつ貰って席に着く。広い店内では品の良い老夫婦や家族連れが談笑していてとても賑やかだった。

宿に帰る途中、故郷にある茅葺き屋根(白川郷が有名)と全く同じ造りをした屋根があって興味津々で観察したが、どうやら茅葺きは日本特有のものではなくドイツやイギリスにもあるらしい。知らなかった。飛騨から職人が出向いて造ったのではという期待は裏切られたにしても、郷里を知る契機と刹那のノスタルジーをありがとう。無事、宿にチェックインしてリビングでテレビを見る。映画がやっていて、iPadで花札をして流し見していたのではっきりは分からないが、「今日はクリスマスだからいいじゃないか!」を口実に情事をしまくる主人公の男が「一緒にパキスタンに行こう。」と恋人を誘うが彼の放蕩ぶりを知っているため喧嘩がたえない、という内容で全くもってクリスマスにふさわしくない。もう少しましなセレクトは無かったのか。

四日目

この日は一日移動に費やした。ペンザンスからヒースロー空港を経由してSouthampton (サウサンプトン)に到着。二時間だけの滞在で町を散策してからすぐさま、バスに乗り目的地のPortsmouth(ポーツマス)に。移動時間というのもまた旅を旅たらしめる一つの重要項で、ラスボスまでがやたらと長いRPGみたく移動時間が長ければながいほど目的地に着いた時の高揚感は大きい。

Thursday, 19 January 2012

イギリス南西部の旅 一日目&二日目 St Ives(セントアイヴス)

キリストさんが生きていれば2011歳になる頃、僕はイギリス南西部5泊6日の旅をしていた。クリスマス恐怖症を併発させて今年の聖夜は友達とまったり過ごそうと考えていた12月の第3週、Twitter上で緻密に計画された魅力的な旅プランを携えた鉛筆の人からの誘いが。日本の首相が替わるのと同等のスピードをもって二つ返事、今回の旅が決定したのだった。

一日目

早朝に出発してロンドンから最初の目的地、 St Ives(セントアイヴス)へ。出鼻はくじかれる為にあるもので、行きのバスがたいしたことない雨天と渋滞を理由に予定より3時間遅れて乗り換えのSouthampton(サウサンプトン)に到着し、さらにSt Ivesに向かうバスでは運転手さん☆のコーンウォール訛りによる車内アナウンスで見事に『St Ives』を聞き逃し、通り過ぎ、終点のPenzance(ペンザンス)に行き着いた。予定では三日目に来るはずだったペンザンスに初日にフライングして来てしまった日本人二人は世界の終わりが到来したかの如く絶望し、それから、かろうじてやっていたジャンクフード店でペンザンスバーガーなるものを買って空腹を満たした。西洋には「空腹は最高のソース」ということわざがあるが、僕は言いたい「絶望は最高のソース」であると。絶望という状況は空腹という状態に勝る至上の偶発的アクセントなのだ。機会があれば皆さんも是非、ロッテリアの「絶品バーガー」ならぬどこかの「絶望バーガー」を試してみてはどうでしょう。と、そんなことはさておきバスの運転手によるとセントアイヴスに戻るバスが一本あるとのことで、それに乗りセントアイヴスまで逆戻り。

結局、到着したのは日付も変わって、クリスマスイブ。グーグル先生の地図の精度を過信していた為、宿泊予定のホステルを見つけるのにも苦戦したが、まさかホステルの玄関が施錠されているとは思いもよらなかった。絶望の早期再来である。暗証番号に幾度と挑戦するももちろん無反応、キックに次ぐキック、ピンポンに次ぐピンポンでなんとかホステルに入れてもらうことができた。ようやく就寝。

二日目

昨夜の就寝から間もなく暁起してホステルを出発。目指すはThe Islandと呼ばれるセントアイヴスの先端にある岬、日の出を見ようと思ったのだ。空が鉛色の雲に覆われていたこともあって、そこには今まで見たどの日の出よりも幻想的で抽象的で、サーフグリーンの海とピンクと水色がグラデーションを成す空が朝の静寂と共犯関係を築いて正面に迫って来た。全てが曖昧模糊で終始、夢見心地だった。

書くより写真を見せろと言われそうだが、そこには察して欲しい事実がある。実はこのイギリス南西部の旅の後に行ったパリでかなしいかな、カメラを盗まれたのだ。そして怠惰な僕はむろん旅行から帰ってもパソコンにメモリーをアップせずいたので今頃、写真のデータはフランスの闇市かネットオークションに彷徨っているのだろうと推測する。そんなわけで今回の使っている写真はiPadで撮影したものに限るのでご勘弁を。

アイランドの帰りに海岸に寄って貝殻を拾った、そして落とした。幼年期の頃虫や鉱物を集めていたけど貝はほぼファーストコンタクトで、それもそのはず、僕は海に行ったことがほとんどなく修学旅行を含めても3、4回ほどだ、今思い返すと。時間があるときに一日中、貝殻を集め続けてみたい。

魔女の宅急便の小さな路地を抜けて見つけたパスティ屋でパスティを食べる。パスティとは何ぞや?パスティとはパスティである。そう、パスティと言いたいだけなのだ。そして起こるはパスティのゲシュタルト崩壊。海の見える教会でキャンドルを灯した後は、イギリスならどこにでもあるOxfamという古本、古着、食器等を扱うチャリティーショップで「The Little of PANTS(パンツに関する小さな本)」を買った。その内容ときたら、シェイクスピア、アリストテレスからエリザベス一世や孔子まで、著名人達の発した名句の一部をパンツに換えて列挙するだけのくだらないもので、例えば美声年の悲劇を描いたオスカー・ワイルドの耽美小説『ドリアン・グレイの肖像』の中でヘンリー卿が謂った「敵を選ぶときには、いくら注意しても注意しすぎることはない。」が「パンツを選ぶときには、いくら注意しても注意しすぎることはない」になるという具合だ。しかし、ヘンリー卿のウィットと逆説に溢れた警句を、単語の置き換えだけでここまで清潔感のあるアドバイスに成らしめるとは。凄まじい破壊力である。そしてさらに、このパンツ選びに関するアドバイスもヘンリー卿が言ったとなると、それなりの深い意味合いを含んでいる様に聞こえてくるから不思議だ。

セントアイヴスは芸術家のコロニーと言われていて、町にも大小のギャラリーが多数点在している。その中で最大のものが、ロンドンにあるテートブリテンとテートモダンの分館である、テートセントアイヴスで、必ず行こうと考えていたのだが聖夜前日の為、閉館していた。その近くの教会の壁にはポスターが貼ってあって「Jesus lives forever」がスターウォーズのオープニングっぽく、宇宙を背景に書かれていたのには驚いた。写真がないのが悔やまれる。

昼食に本日二度目のパスティ(羊肉とミント)を食べた。真っ二つにしたラグビーボールの大きさと重量で空腹が12分に満たされた。この小さな町には個性的な店がたくさんあって、天井からナマケモノ、たこ、魔女のぬいぐるみが所狭しとつり下げられている魔女ショップ、色とりどりの貝殻を扱ったシェルショップや、寓話とトランプ類周辺のコレクターズショップはロンドンでは見れないものばかりあって楽しめた。最も惹かれたのは宝石や瑪瑙、化石などを扱うアンティークショップで、子供一人が楽に入る巨大な貝、亀の化石、サメの歯が狭い店の四方を覆っていてる様はヴンダーカンマー(驚異の部屋)を彷彿とさせる。シェルショップでは、貝なのかヒトデなのか分からないがとにかくとてもエロチックなオブジェを買った。

どこの店もクリスマスに備えて早く閉店し始めたので、またまた別の教会に行ってみた。丁度クリスマスイベントをやっていて、地元の人達に混じってキャロルを歌った。どう見ても異邦人で非クリスチャンの僕にも歌詞が載っている冊子をくれたり、次の曲はこれだよと教えてもらったので焦ることなく楽しんだ。歌い終わった後にクリスティングルという、お菓子の付いた爪楊枝を四方に、ロウソクを中心に刺したオレンジを貰った。隣にいたおばあちゃんにこれはなんだと聞いたら、オレンジは地球、赤いテープはキリストの血、四つの棒は四季をそれぞれ表しているんだそうな。

ホステルはこの日はもともと休む予定だったらしいのだが、他に泊まる所がないことを告げると特別に泊めてくれるという。ありがたい。そんなホステルには卓球台からダーツ、スロットマシーンまである広間があって、そこで休んでいたら出来上がったホステルのオーナーとその友達が入って来て、その中の「頭、肩、足」という日本語を連呼する男に、黒いロシアの酒を勧められて飲んだ。癖のある強い酒だったけど、甘くて美味しかった。

日付がかわる前に再度、海の近くにある教会に行った。なにしろ、それ以外に行く所がないのだ。ここは町で一番大きな教会で、二時間くらいの厳格な儀式やスピーチがあった。夜遅くなのにもかかわらず、超満員で席が足らずに立っている人もいた。人生で初めて、コンシューマリズムから逃れたクリスマスを過ごした気がした。

Thursday, 1 December 2011

Sonic Boom

超音速飛行によって生じる衝撃波で起こる大音響、ソニックブーム。
それは自然か、人工か。
人間が生み出したテクノロジーによってのみ可視化される自然は、
「超自然」という言葉がしっくりくる。

Wednesday, 9 November 2011

ポストモダニズム展 in V&A Museum

先週、V&A博物館で行われているポストモダニズム展に行ってきた。V&Aは二つ前の記事で少し書いたヴィクトリア女王とアルバート公のVictoria and Albertで、ヴィクトリア女王の死後、旧サウスケンジントン博物館からこの名前に変更されたらしいが、それは文化と歴史の頽廃期に芸術を嗜好しその成熟を援助した二人の君主に敬意を払ったからに違いない。大英博物館と同スケールの建物に展示されているのは、学生達がスケッチしているのをよく見るギリシャの彫刻から現代テクノロジーの集合知といえるようなガラス細工のシャンデリアまで広範にわたるが、元々1851年に行われたロンドン万国博覧会の利益で建設されたこともあり、万博以降に造られたヴィクトリア朝のものが多い。

国内に点在する巨大博物館の例にならってこの博物館も入場無料で、建設された当時もペニーレスな若きクリエーター達にデザインの重要性を啓蒙する目的で無料だったという。中世から欧米に連綿と受け継がれているこの富裕層のパトロン的、啓蒙的精神が今日までアート業界を牽引する力の根底になっていると考えるのは恣意的な妄想ではないはずだ。その資金が帝国主義的植民地支配における他国からの搾取によってもたらされたのは事実だが、彼らを一重に避難できないのはその用途が日本の富裕層達とくにニューリッチ達とは違い文化援助の場、つまりプラットフォームを造ることに向けられたからだ。日本にも精神科医でありながら現代アートコレクターの高橋龍太郎先生のように富を文化援助に還元できる富裕層が現れるのを期待したい。

と、ぼやきはここまで、本題のポストモダニズム展について。ポストモダニズムとは既存の自然、伝統、様式、正当性に疑問を投げかける批評的態度で、その根底には構築主義と反基盤主義がある。構築主義とは、一般に「☆☆☆(たとえば自然)」と看做されていることは普遍的、絶対的なものではなく、社会や文化の習慣の中で形成されたものであるという指摘、そしてそのフィクションの批判である。反基盤主義は一般的に「☆☆☆(たとえば正当)」と看做されているものはなにか絶対的で根源的な基盤に言及することで成立しているが、その基盤は抽象的な措定でしかなく、常に構築されているため、基盤への言及はその正当性を担保しないという主張である。それに抗う手段としての、「☆☆☆」に対してミイラ取りに行って故意的にミイラになるような形で「☆☆☆」の自然化、正当化にいたる様相をあぶり出す、パロディはポストモダニズムの特徴的な方法論で、やはりそれは批評的な営為である。


今回、気になったアーティストを淡々と音速光速で紹介。各々の詳細は後日、書ける時に。

まず、入ってすぐの所にあったのが、横尾忠則が描いた舞踏家、土方巽の公演ポスター。写真だと分かりにくいが左上には澁澤龍彦の写真があり、その横には「澁澤さん家のほうへ」と添えられている。
隣にあったのが、同公演のコレクション展示即売会ポスターで、オリジナルを踏襲してあるのが分かる。しかも、中央に加えられている毛筆は三島由紀夫によって描かれたものであるというから、驚くしかない。横尾忠則、土方巽、澁澤龍彦、三島由紀夫と名前を見ただけでもよだれが出てくるくらい、豪華キャスト。この当時の文化人界隈の分野を跨いだ交友関係に憧憬しないではいられない。
ポストモダンで比較的理解しやすい建築では、Ilya UtkinとAlexander Brodskyという二人のロシア人建築家が興味深かった。彼らは建築家であるにもかかわらず、この世にあり得ない建築、夢想的で再現不可能な建築デザインを紙の上で描き続けた。この二人には強く惹かれるものがあるので、是非詳しく調べたい。
このおそらくアールヌーボーの流れを受け継いでいるであろうティーセットはPaolo Portoghesiというアーティストの作品で、その算出された様式美を見れば、彼の本業が建築であることに驚きはしない。
大野一雄はこのポストモダン展で知った舞踏家。土方巽とパフォーマンスが似てるなと思ったのは間違いではなくて、暗黒舞踏で競演をしていたり、とかなり影響を受けている模様。今回一番見入ったのはこの動画。
音楽におけるポストモダンも相当な強者で犇めいていた。まず、Grace Jones。ミュージックビデオが流れてて、本人が着用した衣装もいくつか。Grace Jonesは東京にある某セレクトショップの元店員さんに教えてもらったのが始まりで、ヴィジュアルも音楽も目眩なしには成り立たない程刺激的。
そして冒頭にある動画の男色ソプラノ歌手Klaus Nomi。この衣装も実物が展示してあって、プラスチック的な硬化な素材と思っていたのは実際、比較的軟らかそうな素材だった。 会場では『Lightning Strikes』のミュージックビデオがリピートされていた。